わたしは実際、あなたがたがひとり残らず異言を語ることを望むが、特に預言をしてもらいたい。教会の徳を高めるように異言を解かない限り、異言を語る者よりも、預言をする者の方がまさっている。
またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。
たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。
信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、
愛を追い求めなさい。また、霊の賜物を、ことに預言することを、熱心に求めなさい。
愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。
こういうわけで、平和に役立つことや、互の徳を高めることを、追い求めようではないか。
感謝するのは結構だが、それで、ほかの人の徳を高めることにはならない。
ラバンは言った、「よろしい。あなたの言われるとおりにしましょう」。